播州飾磨彫刻師


三代目 松本義廣

姫路市飾磨区宮一二の三

明治三十八年(1905)〜昭和三十三年(1958)
 

 
旧姓を青木義雄と云い、8歳の頃より二代目の元で修行し、後年腕を見込まれ、松本家に入り三代目を継ぐ。
三台目の仕事振りについては定評があり、特に荒彫をしている時は、ポン・ポン・ポンと軽快でリズミカルな快い音を発していたと云われ、側で見ていて惚れ々々する程の名人芸であったと聞く。
名工故の運命か、惜しくも53歳で亡くなるが、屋台狭間を初め数多くの名作を残す。


 
〔図:天の岩屋戸の変
〔製:昭和25年(1950)〕
〔材:ヒノキ〕
〔寸: 240× 760× 250〕
〔所有:飾磨・濱の宮天満宮/宮町〕
〔祭礼日:10月8日・9日〕
 

 
〔図:楠公父子訣別桜井駅
〔製:昭和25年(1950)〕
〔材:ヒノキ〕
〔寸: 240× 760× 260〕
〔所有:飾磨・濱の宮天満宮/宮町〕
〔祭礼日:10月8日・9日〕