所有:網干・魚吹八幡神社/坂上
寿永3年(1184年)2月7日、
義経軍の急襲で総崩れになった平家軍は、この一の谷の合戦で多くの武将を失う事になる。
忠度が岡部六弥太忠澄に戦いを挑まれ、組み伏せられて首を討たれる図。
六弥太は、忠度の懐から一巻の「旅宿花」と題する和歌を見つけ、歌人としても名高い薩摩守忠度その人であることを知ったと云う。
敦盛が馬を泳がせ舟を追っていたところを、熊谷直実に呼び止められ戦った場面。
直実が敦盛を組み敷き顔を覗いてみると、まだ少年の面立ちに、
我が息子と同じ年頃と不憫に思い逃がそうとするが、源氏の軍勢が駆けつけ、敵将を逃がす事も出来ず泣く々々首を取った。
後に直実はこの武将が笛の名手敦盛と知り無情を感じたと云う。
昭和62年まで使用されていた幕で、現在は地元で保存されている。